2023年秋旅行の旅行記

旅人 中扉締切


 たびてつ5年目にして初めて旅行の幹事になった。半分冗談のつもりで行き先に下諏訪を提案したら長野と繋げられ、多数決を通ってしまったのだ。長野と諏訪はけっこう離れているというのに。
 そういうわけで、今年の秋旅行は長野・湯田中・姨捨・下諏訪を訪れる1泊2日の旅行となった。行き先が決まったのは例年よりひと月ほど遅い8月で、通例3人の幹事も2人きりと、慌ただしいスタートとなった。
 まず問題となったのが、旅程のまとめ方だった。参加のコストを考えると、1泊2日にまとめたい。しかし長野県は南北に長い。長野から湯田中は北東に長野電鉄で1時間、下諏訪は南に篠ノ井線と中央線で2時間で、夜景が有名な姨捨はその中間、長野から篠ノ井線で40分程度だ。
 移動に時間がかかるので、どん詰まりの長野電鉄はともかく、篠ノ井線を何度も往復するのは避けたい。仮に日没時に姨捨で電車を降り、夜景を見てから湯田中に向かうとすると、1日目の午後には下諏訪を出ることになり、滞在時間から逆算してつくば発が異常に早くなる。逆向きで旅程を考えると、姨捨で夜景を見るには湯田中を素通りしなければならない。温泉の豊富な長野県だが、温泉街の素通りはもったいない。
 結果、湯田中での宿泊をとり、姨捨駅は日中に訪れることにした。1日目は北陸新幹線で長野に入り、長野近辺を観光して湯田中に泊まる。2日目は午前中姨捨駅に1時間滞在してから下諏訪に入り、特急あずさ号で首都圏に戻る。下諏訪には儀象堂という時計の博物館があって、機械式腕時計を含む時計の組み立て体験ができる、というのが下諏訪を推した理由だったのだが、疲労と開始時間を考慮し時計の組み立てそのものは見送り、長野・湯田中・下諏訪での滞在時間だけでなく、長野から湯田中までの長野電鉄も自由行動とした。
 そうして旅程ができ、幹事含めて5人の参加者を集めた。しおりの表紙には図案化された経路が描かれていた。北を走る北陸新幹線と、南を走る中央線で一周する経路がよくわかる、もうひとりの幹事の粋な計らいだ。
図案化された経路(しおりの表紙より)
 9月22日金曜日。つくば駅に集まった2人は、予定より1本早い電車でつくば駅を後にした。途中合流が多いにしても長野まで2人というのは異例だ。南流山で武蔵野線に乗り、南浦和から京浜東北線に乗って、大宮駅にやってきた。
 お腹が空いてしまったので、大宮駅でチキン弁当を購入し、新幹線に備える。大宮駅のホームは狭く、乗降客を捌くことよりも運行系統上必要な数の線路を配置することを重視しているかのように思えた。
 乗車予定の便は準速達のはくたか号で、2人がけ座席の指定が取れなかったので自由席を待っていた。先行する全車指定席のかがやき号が発車し、トイレから戻ると様子がおかしい。狭いホームに多くの人が並んでいる。安全柵もないのでなかなか怖い。反響で聞き取りづらいアナウンスが終わると、12号車を先頭にはくたか号がやってきた。車両はW7系で、金沢開業以来の車両だ。自由席は後ろ4両だ。
 自由席の車両がやってくる。国際色豊かな乗客の想像を上回る混雑で、外から空席が見えない。ドアが開くとともに車内奥までなだれ込む乗客。9月なのに盆暮れ正月を思い起こさせる。2人はばらばらになり、1人で座席を押さえた。
 通路に立つ人たちを横目に、3人がけの中央の座席で慌ただしくチキン弁当を食べる。新幹線の乗車時間は1時間しかないので、早く食べないと食べきる前に着いてしまうが、この混雑では旅情も何もあったものではない。
 チキン弁当を食べていると高崎を過ぎ、すし詰めの新幹線は碓氷峠に入って坂を登り始めた。車体が前後に斜めになり、トンネルをいくつも抜ける。携帯電話の電波も少し不安定になる。途中安中榛名駅を通過したが、これもトンネルの狭間の一瞬の出来事だった。
 斜めになった車体が元に戻り、はくたか号は軽井沢駅に入った。着くと同時に乗客が次々と降り、満員だった車内は空席が目立つようになってしまった。上田を出てしなの鉄道線と並行しながら長野駅に到着した。ここからは自由行動だ。
 先を急ぐ1人とはくたか号をホームで見送り、改札に向かうと、長野電鉄のことを「Subway for Yudanaka」と言及する掲示が目に入った。しかもこの掲示には日本語併記がされていない。私自身戸隠スキー場に行ったときに長野電鉄の地下線の上の道路を利用しているので地下線であることは知っていたし、長野は善光寺・スキー・温泉と日本らしさを満喫できる観光名所が揃っていることから訪日外国人に人気だ、という情報も得ていたが、明らかに訪日外国人を捌くための掲示を用意し、温泉街に直行する地下鉄として長野電鉄を紹介することに驚きを感じた。
改札前の掲示
 改札を出ると、先に長野に着いていた2人がいた。1人は撮影を頑張るらしく、もう1人は善光寺に行くらしい。善光寺に行く人と合流して、2人で長野電鉄の駅に向かい、2日分のフリーきっぷを購入した。このフリーきっぷは特急の湯田中までの往復と同額で、特急の自由席はもちろん普通電車も乗り放題という優れものだ。タイミングが悪かったせいで購入中に普通電車が出てしまったが、次の特急に乗っても追加料金はゼロだ。
 頭端式ホームに降りると253系、もとい2100系スノーモンキー号がいた。前面の見た目は一見変わりないが、赤の面積が多い。2100系は2本いて、1本は成田エクスプレス時代の塗装そのままだが、目の前にいる車両は残りの1本で、長野電鉄オリジナルの塗装に改められていた。発車まで20分ほどあったので、狭い島式ホームを湯田中寄りに向かって歩きながら車体を観察した。特急「日光」はなかなかお目にかかれないので、元成田エクスプレスの253系を間近で見るのは久しぶりだ。落ちたら怖いので特急列車側を歩く。
長野駅停車中の2100系
 しかし見れば見るほど車体がぼこぼこだ。かなりショックだ。VSEの比ではない。幼少期を横須賀線沿線で過ごしたこともあり、成田エクスプレスの253系には特別なイメージを持っていたのだが、車両が同じでも、もはやあの頃の成田エクスプレスではないことを突きつけられる。地下ホームの天井に一列に並ぶ蛍光灯の照明で強調されていることは否めないが、それにしてもかなりのぼこぼこ具合だ。窓周りも波打っている。最近見た姉妹車の255系もなかなかひどい見た目だったが、経年と塗装のせいだろうか、あるいは丁寧に洗車されて汚れが少ないからか、2100系のぼこぼこ具合は際立って見えた。
 車内に入って空席を探すことにする。3両編成のうち、リクライニングシートの先頭車両は追加料金のかかる指定席だ。最後尾は改札前だから混みそうだ。
 というわけで2両目に乗り込むと、集団見合い式の座席が広がっていた。荷物棚はハットラック式で、カーテンは2列ごとと、赤と黒の座席も含めて成田エクスプレス時代の特殊仕様がそのまま残っていた。座席の方向はがっちり固定されており、傾斜がついている代わりにリクライニングはしない。2人分の座席ががっちりした一つの枠組みに取り付けられていて、背もたれには取ってつけたようにテーブルが立てられている。座席にはフランス・コンパン社製とのステッカーが貼ってある。民営化と円高とバブルに伴う、海外テイストの過剰摂取の生き証人だ。すぐ降りるのでドア付近の座席に座り、発車時刻を待った。
2100系の車内
固定式の座席
 発車時刻になり、列車が動き出した。車体の振動でテーブルが倒れる。市役所前駅を通過し、あっという間に権堂駅に到着した。待っている時間の方が圧倒的に長かった。
 善光寺は善光寺下駅が最寄りだが、特急は停まらないし次の普通電車まではもう20分ある。そばの百円ショップでヘッドセットを購入し、善光寺に向かって歩く。参道は景観が整備されていて、門前町を感じる。
 坂を登りきって善光寺の境内に入った。せっかく善光寺に来たので、各所を回ることにしたい。まず全箇所の拝観券を購入し、国宝の本堂の内陣に入ってお戒壇巡りをした。お戒壇巡りは、本堂の地下に降りて真っ暗な通路を通り、途中御本尊の真下の「極楽の錠前」に触れることで縁を結べる、というある種のアトラクションで、実際真っ暗だった。通路の高さは約1.8 m で、筆者はぎりぎり通れたが長身の人は注意が必要だろう。
 次は経蔵に行った。この経蔵には一切経すなわち仏教の全ての経典が、回転式の書棚である輪蔵に収められており、なんと重要文化財だが参拝者も回転させることができる。一周させると内容全部を通読するのに等しい功徳を得られるという。やはりアトラクションである。2人で一周回したが、動き出しまでが結構重かったのに対し、一度動くとスムーズだった。近年修理を受けたとのことだったが、軸受の潤滑はどうしているのだろうか。
 経蔵の次は忠霊殿に行った。こちらはコンクリート造りの建物で、戦没者を弔う施設であるとともに、史料館を併設している。史料館には鎌倉時代の仏像から近世の信仰を示す絵、近年のダライ・ラマ十四世の訪日に合わせてチベットの僧たちが制作した砂曼荼羅など、長きにわたる信仰を示す様々な史料が展示されていた。ここで雨に降られて傘を出した。
 最後に山門に登った。登りの階段は梯子のような急傾斜だったが、上の階は広く、外の回廊からは境内と長野市街が一望できた。山門には四国八十八ヶ所霊場ゆかりの仏像などが安置されていたほか、江戸時代の落書きもあった。
山門から眺める長野市街
 山門から降り、おみくじを引いた。結果は凶だった。まあいいか。
 自由時間が1時間ほど残っていたので、至近の長野県立美術館を訪れることにした。さすがに企画展をじっくり見る余裕はなかったので、コレクション展とアートラボ、そして東山魁夷館を訪れた。最近建て替えられたとおぼしき美術館は、そのものがよく考えられた建築で、周辺の公園とあわせて心地よい空間を演出していた。
 そして坂を降りて善光寺下駅へと向かったが、ちょうど長野行きの電車が出たあとだった。後続の特急電車に乗ろうと権堂駅まで歩いたが、思いのほか距離があって特急にも間に合わず、長野駅に戻ったときには湯田中行きの特急が停車していた。
 今度の特急は1000系ゆけむり号だ。赤いハイヒールのような、低い展望席と高いハイデッカーの対照が特徴的な車両は、元小田急10000形HiSE車である。この車両を追い出した小田急のVSE車はすでに定期の営業運行から引退しているため、定期的に営業運行する連接車の特急としては日本最後だ。特急車といっても11車体12台車の両端2車体ずつを抽出したコンパクトな編成で、トイレはない。進行方向前よりの展望席は指定席だ。
 とりあえず改札を出て入り直し、ホームを行ったり来たりし、最後尾の展望席に座った。座席は後ろ向きでリクライニングしないが、展望席自体がちょっと狭いので違和感はない。
 ドアが閉まり、車止めが遠ざかる。ホームを出て、カーブを抜け、地下線を走る。柱の列と蛍光灯がどんどん後ろへ流れていく。シミュレーションゲームでしか見たことのなかった光景が目の前に広がる。権堂を出るとスピードを出し、善光寺下、本郷と次々と駅を通過していく。地方私鉄らしからぬスピード感だ。
 しかし、朝陽駅に近づくと電車が減速し、ポイントを通過して単線になった。ここまでの複線区間は精一杯の背伸びだったのだと感じる。千曲川を渡る鉄橋は道路との併用で、新しいが複線化のスペースはない。
 次の停車駅の須坂駅には車庫が併設されており、成田エクスプレス塗装の2100系や8500系が止まっていた。引退したマッコウクジラこと3500系車両の姿もあった。この須坂駅でもう1人合流した。残りの2人は残念ながら間に合わないとのことで、3人で湯田中を目指す。電車はゆっくりと勾配を上りながら里山を走っていく。小布施には先代の特急車2000系が展示されていた。赤とクリームの塗装で、屋根の下に保存されていたが線路側に壁はなく、車内から眺めることができた。
 信州中野を出ると電車が露骨に傾き、急勾配を登りだした。斜面に張り付くように建つ建物がところどころに見える。最後に急勾配のカーブを曲がって湯田中駅に到着した。
湯田中駅に到着したゆけむり号
 湯田中駅で1000系の写真を撮っていると、宿泊先の旅館のプラカードを持った人が名前を呼んでいる。なんと迎えに来てくれたのだ。
 ワゴン車に乗り込み、駅前を後にする。今回宿泊する旅館は駅から少し離れ、川の向かいにあった。
 鍵を受け取り、部屋割りを決め、部屋に入って荷物を整理する。食事をとりにいくために駅まで歩いて戻るのだが、湯田中も天気は微妙で、雨が降りそうだ。
 あれ、ない。
 傘がない。
 いつも持って歩く折り畳み傘がない。
 どこに忘れたんだろう。
 最後に開いたのは……どこだろう、と思う暇もなく相部屋の先輩が声をかける。
 善光寺の山門だ。山門の入り口の傘立てだ。
 善光寺に電話をかけたが時間外でつながらない。
 電車の時刻表を見たが、ちょうど普通電車が出た後で、次は1時間後の19時15分発だ。善光寺下に着くのは20時20分で、善光寺までの往復を24分でこなせれば湯田中に22時前に戻れるが、傘は回収されているかもしれないし、何より往復を24分でこなせなければ23時8分まで戻ってこれない。夕食はもとより入浴すらおぼつかなくなる。
 傘の回収は一旦あきらめ、とりあえず湯田中駅まで歩くことにした。長野に来たからには、そばを食べたい。湯田中駅で遅れていたうちの1人と合流し、駅至近の居酒屋と併設の店舗でそばを食べ、駅前のコンビニで翌日の朝食を調達した。
 旅館に戻り、浴衣に着替えて入浴の準備を進める。この旅館には内風呂と露天風呂があり、どちらも源泉かけ流しだ。まずは内風呂の洗い場で体を洗い、浴槽に入る。
 熱い。
 一旦出て入り直してみる。
 熱い。
 場所を変えてみる。
 やっぱり熱い。
 10秒ほどで脱出して体を拭き、露天風呂に向かう。
 外気温が低いせいか、露天風呂は適度な温度だ。
 露天風呂でしばらく過ごしたのち、内風呂に戻る。冷えた体にはちょうど良い温度だが、それでも2~3分が限界だった。
 体を拭いて髪を乾かし、部屋に戻ったあとは館内を探索した。各階はほぼ半分ずつ微妙に高さの異なる区画に分かれていた。浴場や我々の部屋があるのは川側の半分で、山側の半分はワンフロアあたりの高さが微妙に低く、照明が落とされていた。
 5人目が合流したのは22時を過ぎてからだった。記念写真を撮影したあとは、歯を磨いて眠りについた。
 朝は5時半に起きた。コンビニで買ったパンを食べて集合し、宿を立った。スムーズに出発できたので、電車を1本早めることにした。これで傘が回収できる。
 湯田中駅で待っていたのは元東京メトロ日比谷線の3000系だった。この3000系は途中の信州中野止まりで、信州中野で始発の特急と普通に接続する。先頭車の前面にかかる帯だけ赤くなっていたが、内外装はほぼ日比谷線時代のまま残されていた。改造は主に機器類に関するもので、2両編成から始まった先代日比谷線の3500系と異なり当初から8両固定編成だった3000系は、3両に短縮するにあたって先頭車の電装や補助電源の移設などを受けている。現行の13000系が引退するときはどうなるだろうか。途中信濃竹原駅で対向の普通電車とすれ違い、信州中野駅に到着した。
 信州中野駅で待っていた特急は、長野電鉄で最初に乗った車両と同型のスノーモンキーだったが、外部の塗装が成田エクスプレス時代そのままの第一編成だった。
 特急は善光寺下には止まらない。長野まで行く一行を見送って権堂駅で降り、早歩きで昨日来た参道を行く。仁王門を抜けて山門にたどり着く。
 あった。
 昨日置いた場所に、そのまま、傘がささっていた。さすがお寺の境内だ。
 速やかに傘を回収して、ついでにおみくじをひきなおした。
 末吉。ワンランクアップだ。
善光寺山門
 篠ノ井線の時間の都合上長居はできないので、そのまま急坂を下って善光寺下駅に入った。高い天井の善光寺下駅にはエスカレータがなく、案内放送もないのでとても静かだ。虫の鳴く声が反響するトンネルからは、静かなVVVF車の3000系でも前々駅の市役所前を出たあたりから走行音が聞こえる。
 向かいのホームから発車する須坂行きの3000系を見送ってしばらくして、元々乗車予定だった長野行きの電車がやってきた。来たのは8500系の最終編成だった。長野電鉄の現行車両では先頭車化改造を受けた唯一の編成で、改造を受けた箇所のコルゲートがなく、貫通扉がダミーだ。蛍光グリーンの交通安全運動のゼッケンが目立つせいもあるが、一見して違和感を覚えないほどに仕上げられていた。
 長野駅に戻り、皆と合流した。まずここから姨捨まで松本行きの篠ノ井線直通列車に乗り、姨捨駅で1時間過ごしたのち、姨捨から下諏訪まで甲府行きに乗る。秘境の姨捨駅に売店は期待できないので、ここから3時間分、下諏訪までの飲食物を調達して、篠ノ井線に備える。
 ホームにやってきた松本行きの篠ノ井線直通列車は、2両編成のE127系だった。2両目に乗り込み、座席を確保する。発車の時間が近づき、向かいのホームにはしなの鉄道の115系がやってくる。115系といえば過去のものというイメージだったので、目の前で動く115系に少し驚いた。
 そうこうしているうちに長野駅を発車した。朝かつ2両のワンマン列車であるということもあり、車内はそこそこ混雑していて、立ち席が出ていた。篠ノ井でしなの鉄道線と分かれ、ぐいぐい坂を登っていく。
 稲荷山駅を出て5分ほど経ったところで、電車は水平な線路に停車し、誰もいない乗務員室を前にバックし始めた。桑ノ原信号場だ。ここで対向の特急しなの号を待ち合わせる。
 しなの号が通過すると、電車は再び前に向かって山を登りだした。次が姨捨駅だ。
 姨捨駅に到着した列車は、またも水平な線路に入ったのち、バックしてホームに入った。
姨捨駅に到着したE127系
 山に張りつくように建っている姨捨駅のホームからは、善光寺平こと長野盆地が一望できた。
姨捨駅ホームからの眺め
 ここでE127系を見送り、今度の電車までの1時間を過ごす。1時間とはいっても、特急列車やリゾート列車など多種多様な列車がやってきて、スイッチバック運転の珍しさもあり、飽きのこない時間を過ごすことができた。
 リゾート列車を見送って、いよいよ甲府行きの列車がやってくる。今度は3両編成の211系だ。ホームの下の本線を一旦通り抜け、テールランプを先頭にホームに入線する。
姨捨駅に入る甲府行きの211系
 来たのはロングシート車だった。去年の秋旅行で水上から高崎まで乗ったのも同じロングシートの211系だったが、そのときの詰め物をぱつぱつに詰められた座席と違って心なしかホールド感がある。たとえへたっているせいだとしても、乗り通す身にはうれしい。
 トンネルを抜け、盆地を走り、211系は進む。この電車は長野発の甲府行きだ。長野発の、甲府行きだ。どんなところを走っているのだろう。地図を見て愕然とする。伊豆半島や能登半島のような細長い半島を考えなければ、長野県があるのは日本列島のだいたい一番膨らんだところだが、その幅の三分の一くらいを走破する計算になる。逆方向なら高尾から長野まで直通列車があり、車両自体は立川まで運用されている。都心部で姿を見られなくなり、編成の短縮だけでなく編成単位での廃車を受けて車両数が減ったこともあって、なんとなく静かに隠居しているようなイメージを抱きがちだったが、運転本数が少ない分運用範囲が広がり、上野東京ラインを走る後継車並みに広範囲を走り回っている。
 松本駅で松本を観光する1人を見送り、4人は下諏訪まで移動する。塩尻で中央西線と、辰野で飯田線と分かれる。転換クロスシートを備えた名古屋仕様の313系が車窓に映り、日本列島の中央にいることを感じる。
 塩嶺トンネルを抜けると諏訪盆地だ。下諏訪駅で211系を降り、自由行動となった。観光施設「しもすわ今昔館おいでや」に向かう。ここは時計工房「儀象堂」と埋蔵文化財の展示施設「矢の根や」の二本立てで、時計工房では予約すれば時計の組み立て体験ができる。館内中央には、古代中国の天文時計「水運儀象台」の、原寸大で実際に動作するものとしては世界唯一の復元模型がある。
水運儀象台
 館内入り口には、組み立て体験の説明用に、機械式腕時計の部品の標本が置かれていた。すごく小さい。移動の疲れか焦点が合わない。組み立て体験はまたの機会にしていたが、正解だった。下諏訪でゆっくり前泊してから臨みたい。
 入館後十数分で水運儀象台のデモンストレーションがあるとのことだったので、デモンストレーションを見学することにした。水運儀象台の扉が開き、人形が出てきてしゃべりはじめた。ちょっとシュールだ。水運儀象台は一番下の一日の時間を測る部分と上の天体に関する部分に分かれていて、一日の中の時間の最小単位は一刻、100分の1日である。一見馴染みのない単位だが、パーセンテージだと思えば、なんのことはない。
 デモンストレーションを見終わった後は、矢の根やを訪れた。下諏訪周辺で採取された黒曜石が古代日本で広く用いられ、下諏訪が街道の要衝となっていた様子が知れた。
 矢の根やを一通り見たあとは、儀象堂に戻った。儀象堂の展示内容、特に年表は開館の1997年が基準になっていた。2004年のスプリングドライブなど細々と追加はされているようだったが、スマートフォンやスマートウォッチの展示がほとんどないことに寂しさを覚えた。今何時、といわれて、腕時計を見る人と、スマートフォンを出す人、どちらが多いのだろうか。時計の未来はどうなるのだろうか。
 水運儀象台のデモンストレーションをもう一度、今度は横から見たところで、あまり長居しても仕方がないので、おいでやを出ることにした。諏訪大社の下社秋宮を訪れ、土産物を購入して下諏訪駅に戻った。時間が余っていたので駅周辺を一周してみたが、駅の裏側には特に何かがあるわけではなかった。
 下諏訪駅で中部方面に向かう1人と別れ、臨時のあずさ号に乗車した。臨時列車とはいっても車両は定期便と同じで、車体傾斜を備えたE353系だ。諏訪湖の湖畔を走って到着した上諏訪駅では、JR東日本の211系とJR東海の213系が仲良く並んでいた。この特急あずさ78号は停車駅の多い便で、大月までほぼ2~3駅に1駅の割合で停車していく。小淵沢あたりまでは車体傾斜も明らかにカーブ手前でかかっており、速度を落として運行していることがうかがえた。甲府近辺からは本来のスピードで走行していたようだったが、大月駅手前で連結作業のために何度も停止するなど、煮え切らない走りだった。連結作業がなければ車体傾斜のないE257系でも走れそうだ。
E353系の車内
 大月駅で臨時の富士回遊号と連結してから八王子に至るまでは、本物の全力疾走だった。山間部を抜け切る前に空は暗くなっていた。
 高尾からは中央快速線の区間に入り、都会を走っていく。終点の新宿駅で雑踏に解き放たれた一行は、往路と同じように散り散りに帰路についた。


旅人キドリ 2023年雙峰祭号