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校章「桐の葉」と宣揚歌「桐の葉」

筑波大学の歌

校章「桐の葉」と
宣揚歌「桐の葉」

筑波大学校章「桐の葉」

筑波大学は昭和48年(1973)に創設された新しい大学ですが、その歴史は明治5年(1872)、現在の御茶ノ水(茗渓)に作られた師範学校(教員養成学校)まで遡ることができます。
明治初期に作られた師範学校はその後、東京師範学校、東京高等師範学校と改称されました。

明治36年(1903)年に、「五三ノ桐葉形」、すなわち「桐の葉」が校章となりました。桐葉形の紋章は日本古来より貴人の紋章であり、現在でも内閣総理大臣の紋章として使われています。

東京高等師範学校の帽子の徽章は当初十六弁の菊花紋様に「高師」の字を配したものでしたが、明治36年(1903)7月に生徒制服が改正された時に、

「全形五三ノ桐葉形ヲ金色トシテ 中央ニ高師ノ二字ヲ磨キトス(全形竪一寸一分横一寸一分五厘)」

と、「桐の葉」を用いることになりました。
「桐の葉」が校章となった経緯は諸説あり、一般には「教育尊重の意味にして宮内省より特別に允可、ただし宮中の五七の葉を避けて、五三の桐とすることとした」と伝えられています。

この「桐の葉」は昭和24年(1949)の東京教育大学学生バッジに受け継がれ、昭和49年(1974)、筑波大学開学の際に校章として制定されました。そして開学25周年を迎えた平成11年(1999)、複数あったデザインを統一し、現在の形となりました。

筑波大学宣揚歌「桐の葉」

明治の終わりから大正時代にかけて、東京高等商業学校(現在の一橋大学)などで、大学昇格を求める声が強まっていました。
東京高等師範学校も例外ではなく、当時の校長で「柔道の父」といわれた嘉納治五郎氏が教授、学生らとともに先頭に立ち大学昇格運動を繰り広げました。
その時、当時学生であった大和資雄氏によって新聞紙に筆で二節を一気に書き上げて作られたのが「宣揚歌」です。

桐の葉は木に朽ちんより、秋来なば先駆散らん

日本の教育を担う高等師範が尊重されないのであれば、廃校も辞さず、という勇ましい決意を込めた歌は昔の応援歌の曲譜に載せて瞬く間に学内に広がり、学生の愛唱歌となりました。

大学昇格運動の結果、東京文理科大学が設置され、戦後の昭和24年(1949)に東京教育大学が成立しました。
新しい東京教育大学は文・理・農・教育・体育の5学部を持つ総合大学でしたが、キャンパスは東京の大塚や代々木など様々な地区に分かれており、非常に手狭でもありました。
そこで、大学執行部は当時の筑波研究学園都市計画に参加し、筑波移転、新構想大学への改組を決定しました。
閉学を目の前にし、学生もまばらな大塚のキャンパスで東京教育大学最後の学長に就任した大山信郎氏は「宣揚歌」の3番を作詞しました。

年を経て 百年過ぎぬ 今ここに 水は渇るとも 新泉は 筑波の麓に いざ立たん 若人われら

東京大塚の地の歴史はここに終わるが、茗渓の歴史の流れは新天地筑波で永遠に続いていってほしい、宣揚歌には当時のそんな願いを込められています。
その後、開学30周年を迎えた平成15年(2003)に当時の学長の北原保雄氏が作詞した4番が加わり現在の形となりました。
筑波大学に生まれ変わった現在でも、体育会系部活動が試合に勝利した時、または合宿の最後の打ち上げなどさまざまな場面で歌い継がれています。


おことわり:この文章の大部分は弊部の内部書類を元にしたものであり、歴史的経緯が全て正確であることは保証できないことをご了承ください。