リニアを貸し切った

旅人 あ

1. 課金の敗北

 まずは大まかに旅程を紹介する。
 日付は2023年8月1日火曜日。8時30分新宿駅特急9番ホームを出発する特急かいじ7号に乗車し、山梨県大月市の大月駅に向かう。大月駅からはバスに乗車しリニア実験センターへと向かい、リニアの貸し切り乗車に参加する。
 そして当日8時53分。私は新宿駅にて左右に行き交う中央線の電車をぼんやりと眺めていた。
 これだけでは遅刻の場面を期待するところであろうが、残念ながら今回は遅刻ではなく遅延である。8月1日、忘れもしない、中央快速線は西八王子駅での人身事故によって朝から列車に大幅な遅れが発生していた。その結果我らが特急かいじ7号は新宿駅9番線への監禁を食らい、中に人を詰め込んだまま動かない冷たい鉄の箱と化していたのだった。
 先ほど中央線の電車が行きかうと言ったが、どうせすぐに詰まるからという理由からなのだろうか、特急列車は始発駅すら発てない状態だったのに対して、中央線の快速電車は遅延していながらも一応運行はされていたのだった。
 特急が一般の快速電車に抜かれるということは、課金勢が無課金勢に負けるといったことに近い屈辱がある。必修の中国語のテストを飛ばしてまで参加したリニア旅行なのに。今ならまだ間に合う、つくばに飛んで帰って中国語のテストを受けよう、という後悔と焦りとの闘いもあったが、結局、9時20分ごろに約50分の遅れを以て特急かいじ7号は新宿駅を出発、それに乗車して山梨を目指すこととした。
 しかし、案の定ではあったものの、列車は新宿駅を発った後も先行列車との兼ね合いから暫くのろのろとした運転を続けた。
 これは先ほどと同様に例えるならば課金勢が無課金勢のペースに合わせて全力を出せないままでいるということだ。これは真理を示しているのかもしれない。課金をしたところで、周りの環境や状況によってそのアドバンテージはあっさりと崩壊してしまうのが現実だ。
 リニアという現状日本最速の鉄道に乗るために、ゆっくりとゆっくりとおそらくその日その瞬間に限って言えば日本最遅の特急だっただろう列車に乗っていくということは皮肉なシチュエーションである。

2. 話を本題に戻す

 大月駅には約1時間20分の遅れを以て11時ちょうど頃に到着。ここまで来たからには特急料金の払い戻しに期待せざるを得なかったが、一度課金したお金が返ってくることはないことと同じで、そんなに都合よくはいかないのがこの世のルールである。
 大月駅からは当然当初乗る予定だったバスには乗れず、タクシーでの移動となった。山梨県立リニア実験センターには11時20分ごろに到着。
 そこで驚いたのは出迎えてくださったJR東海の皆様のおもてなしの丁重さだった。最初はドローンによる記念写真の撮影に始まり、クリアファイルなどリニアに関連するグッズまで用意してくださり、実際のリニア車両に関しては我々の撮影のためだけに往復で運転していただけるなど、文字通りの「歓んで迎える」というような素晴らしい待遇を受けた。なにか裏があるのではないかと邪推してしまうレベルだったのだが、その言いぐさはあまりにも先方に対して失礼極まりないため撤回し、この場では素直に感謝の意を表明したいと思う。
 そしてリニアに乗車した感想だが、人が体感で覚える速さには音、揺れ、車窓といった様々な要素が関係しているということがよくわかった。
 つくばエクスプレスは、リニアの足元にも及ばない時速130kmが最高速度だが、それでもあの轟音と揺れ、そして窓いっぱいに広がる前から後ろへと次々に流れていく景色が実際のスピード以上の疾走感の演出に一役買っている。が、リニアは、音、揺れ、景色すべてにおいてその対極に位置していると言っていいだろう。つまり、スピード感を覚えさせないような演出に満ちているのである。
 音、揺れに関しては基本的には通常の新幹線のイメージを浮かべてもらって構わないが、むしろそれよりもう一段階静かでより揺れない環境が実際である。車体も内装だけみればいままでの新幹線との差はほとんどない。唯一見た目で分かった大きな違いは、壁の分厚さである。それを最もわかりやすく示している箇所が窓だった。分厚い二重窓のような構造を取っており、通常の新幹線から二回りほど小さく、外の景色がとにかく遠い。覗き込む体勢をとらなければ、景色を十分に眺めることは困難なほどで、新幹線の内装に飛行機の壁面をハイブリッドしたといった感じだった。それにほとんどがトンネル区間であることによる車窓の変化の乏しさも相まって、走行中でも列車のスピード感を感じ取ることは困難だった。
 通常の新幹線においても、トップスピードで走っているときでも目を瞑ればただ揺れと轟音が続くだけで自分が超高速移動の最中だということが分からないことと同じ、寧ろそれを強化したような形で、ただ小刻みに揺れる薄暗い箱の中で隔離されているという感じである。これはただただ睡眠に最適な環境だろうなという印象で、乗客は自分がいま山梨県の山の中をぶった切るトンネルの中を、時速約500kmで移動しているということは夢でも思わないだろう。

3. 今日死ぬかもしれない

 以下、NHKニュースサイトより2023年8月1日記事本文を抜粋する。
大気が不安定な状態になり激しい雨が降った1日午後、山梨県大月市の富士急行線の線路脇の土砂が崩れ線路に流れ込みました。けが人は確認されていませんが、富士急行は一部区間の上下線で運転を見合わせています。
 13時ごろ。体験乗車を終えた私たちは、実験センターに併設されている「どきどきリニア館」で、浮遊しながら時速500kmの超高速で横すべりする鉄の箱の見学をし、それを終えたのち、14時頃から近隣の「道の駅つる」にて昼食を取った。そして、予定では、そのあとは都留市の街歩きと北口本宮冨士浅間神社の参拝に分かれて行動を開始することとなっていた。
 しかし、瞬く間に豪雨、落雷。
 14時ごろ。降り始めた雨は勢い衰えることを知らずに、ついには道の駅を停電へと追いやった。停電はすぐに復旧したものの、雨の勢いは依然増すばかり。バケツをひっくり返したようなという形容を超えて、もはや人間の外界への侵入を許さない水のシャッターといった感じのドカ降りであった。朝の中央線の遅延も相まって、それはもう神からの今日は外出してはいけないという啓示ではないのかと疑わざるをえなかった。もしかしたら自分は今日死ぬ運命にあるのかもしれない。これは一刻も早く神社を参拝し許しを請わなければとは思わなかったが、あまりに激烈という言葉にふさわしい雨のため、結局、街歩きや神社参拝はあきらめ、富士急行線谷村町駅至近にあるミュージアム都留を見学したのち、谷村町駅から都留市駅を経由して大月駅へと戻ることを決定した。さすがにこれ以上公共交通の遅延に巻き込まれることはないと信じて。
 そして15時過ぎ頃。人間の侵入を拒む外界に野ざらしで置いてあるバス停に強行突破で向かう。もはや傘さえ無用の長物だったため全身ずぶ濡れになりながらも、その代わり貸し切り状態となっていたバスに乗車することが叶い洪水と化した道の駅つるを後にした。
 16時頃。ミュージアム都留に到着し見学。そのころにはようやく雨足も落ち着きを見せ、雲の隙間から太陽光が山々へと降り注ぐ美しい情景も味わうことができた。
 そして17時ごろ、つまり午後5時ごろ。ミュージアムの見学を終え富士急行線谷村町駅へ向かうと富士急行線都留市―大月駅間での運転見合わせの知らせが入る。理由は上記記事の通りで、ちょうど運転見合わせのタイミングにバッティングしたのだった。もはや自分今日死ぬわという謎の確信を得ざるを得なかった。それほどまでにこの日は公共交通による移動がことごとくスムーズにいかない一日だった。50分ほど谷村町駅で待機したのち、都留市行き普通列車に乗車。隣駅であり列車の今日だけの終着駅である都留市駅に到着してからは、さらに代行バスの到着を待つこととなり、結果的に19時過ぎ頃に都留市駅を脱出することとなった。大月駅にはちょうど19時56分発の中央特快東京行きに間に合う時間に到着し、中央特快で中央本線の山間部を暗闇の中を切り裂くようにして一路東京へ向けて突き進んでいくこととなった。この日の公共交通での移動はこれが最初で最後のスムーズに進行したものだった。
 20時半ごろ。相模湖駅に到着した際、車窓からは突然花火を拝むことができた。
 もはやついにあの世に到着したのかと錯覚するレベルだったが、相模湖で行われた花火大会を偶然停車中の車内から眺めることができたのだった。これはもちろんこの日の度重なる足止めがなければ拝めなかった可能性の高いものである。
 人間万事塞翁が馬という故事成語ではないが、どんな事象が何にどんな良い影響を引き起こすのかは全く分からないものである。それに、物事に対してもっとも重要なのは事実そのものではなく、事実に対してどのように捉えるのかということなのである。今回の旅行は移動がことごとくうまくいかなかった。冒頭でも似たようなことを書いたが、時速500kmという日本最速の移動を体験するために一日中移動に四苦八苦したという皮肉ともいえる状況ではあった。しかしむしろそれは公共交通の底力を体感した一日でもあったといえるし、バスによる代行輸送なんて狙って乗れるものではなく、かけがえのない旅行体験になったことは間違いないのである。
 22時前には中央特快は終点東京に到着、私は無事に生還を果たした。

4. 最悪の旅行は最高の思い出になる

 この度の旅行は私にとってとにかく忘れられないという点においては最も上だ。忘れられない最悪のコンディションのもとでの旅行という最高の思い出を残すことができた。最悪のコンディションというのは中央線や富士急行線の遅延の話だけではない。冒頭で話した通り、私は中国語を飛ばしてこの旅行に参加した。中国語を飛ばしたということは、つまり 同日の英語も飛ばしたということである。その日までの英語の課題が実は終わっていなかった。しかし、その課題も、都留市駅での一時間半ほどの待ち時間の間に消化することができた。電車内の環境は自習室に近く、集中して課題に取り組むことができたのだった。
 ともかく、富士急行はじめJR東日本やバス運行会社など、最悪の天候の中乗客を運ぼうと努力してくださった皆様には本当に頭が上がらない。ふざけた私が最悪のコンディションだったなどという資格はないだろう。最悪だったと言う資格があるのは運行会社の皆様の方である。それでも安全に輸送してくださった皆様には改めて感謝を述べておくこととして、この文章を締めることとする。ちなみに私は人生で一度もゲームに課金したことはない。

※この文章は、事実に基づいて一部分を脚色してお伝えしています。

引用文献

NHK “富士急行線 一部区間の上下線 土砂崩れで運転見合わせ 山梨”
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230801/k10014149651000.html (2023年9月19日閲覧)


旅人キドリ 2023年雙峰祭号