VSEの貸し切り列車に乗る

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 小田急50000形・VSE車。箱根への観光における小田急ロマンスカーの復権をめざし、小田急ロマンスカーの伝統とされる展望席と連接構造を取り入れつつ、これまでとまったく異なる洗練されたスタイルで2005年に登場したその特急電車は、その特殊な構造が災いしてか2022年に定期運行から引退した。たびてつの公式旅行では、コロナ禍直前の2020年2月の新春旅行で新宿から伊勢原まで乗車したのが、定期運行での乗車の最後になった。筆者はこのとき1年生として参加しており、横に広い車窓が印象的だったのを覚えている。
 そして、以前のロマンスカーとは異なり、定期運行から引退してなおVSE車は団体貸切専用の車両として小田急線上に残り続けた。2023年2月、奇しくもコロナ禍以後初の宿泊を伴う公式旅行である2022年度の新春旅行の行程に組み込む形で、関東学鉄連で借り切った列車に乗車する機会が与えられた。
 しかし、直前の人身事故により、この日新宿駅のホームに姿を見せたVSE車は、小田原方面に向いた座席をそのままに、照明を落としたまま入線し、回送列車として引き上げていってしまった。車内で配られるはずだったVSE弁当を新宿駅で受け取り、新春旅行は湘南新宿ライン経由で続行された。もうVSE車への乗車はかなわないものかと思われた。
 そして夏がやってきた。関東学鉄連でVSE車の貸し切りを再び行う企画が持ち上がった。たびてつの公式旅行とは時期が合わないが、VSE車の引退時期が2023年秋頃である以上、ここを逃せば乗車することはかなわない。スケジュールは詰まっていたが参加を決めた。
 そして2023年8月27日、関東学鉄連の一行は新宿駅に集まった。270人を超える大所帯での貸し切り、それも2度目ということで、前回よりも高度な誘導が行われた。
 小田急線の改札を抜けて新宿駅のホームに入る。しばらくすると、赤いロマンスカー・70000形GSE車がやってきた。先頭車には5周年を表す “5th Anniversary” の丸いステッカーが貼られている。目を疑う。もう5年経ったのか。GSE車といえば「空がひろーい」と子供に言わせるCMが流れていたのを思い出すが、あれは浪人して千代田線で通っていた頃、小田急の車両で見たものだった。浪人生から修士1年へ。留年も飛び級もしていないので確かに5年だ。GSE車の窓は上下に大きく、2列ごとに太い柱が入っている。木が貼られたVSE・MSEとは異なり、白っぽくてシンプルだ。
5周年のステッカーが貼られたGSE車
 最後尾では展望車と絡めた記念撮影が頻繁に行われていた。小さな子供を連れた家族連れも多い。VSE車に代わって、GSE車はフラッグシップの務めを立派に果たしていた。
 国内外、老若男女、たくさんの観光客を乗せて、GSE車は何事もなく発車していった。GSE車が発車すると、いよいよ次は我々の貸し切り列車だ。前回は貸し切りの前のEXEαもろとも運休だったので、この時点で一歩前進である。しかし乗り込んで動き出すまでは気は抜けない。
 今回は乗車する号車が指定されているが、定期運行を外れたVSE車の乗車位置は、ホームにもうない。VSE車は小田急最後の連接車であり、車体は10個あるが、車体のそれぞれが短く、全体では他の特急車の7両分程度の長さしかない。したがって、他の特急車の号車番号に従うことはできない。めいめいが適切だと思った位置でVSE車を待ち構える。
 そして、VSE車がホームに入線してきた。私が立っていた位置と指定された乗車口とはさほど遠くなかった。
 ホームに入線してきたVSE車を改めて眺めると、窓の柱の構造が他のロマンスカーと異なることに気づく。先ほどのGSE車やMSE車を含め、他のロマンスカーは2列ごとに太い柱が入っているが、VSE車では太い柱と細い柱が2列ごとに交互に入っており、太い柱は4列に1本しかない。4年前には気づかなかったが、あのとき帰りに乗ったMSE車との開放感の違いは、太い柱の間隔の違いによるものだったのだろう。
細い柱(中央)と太い柱(奥左右)
 そうとわかれば話は早い。VSE車の眺望をめいっぱい楽しむために取るべき座席は、細い柱の前の列だ。座席番号までの指定はされていないため、目星をつけて確保した。
 車内に入ると、かつて乗ったときとほとんど変わらない空間が広がっていた。前の座席の背もたれにはMSE車と違って四角いテーブルがついており、14インチのノートパソコンをぎりぎり置くことができた。ポロシャツを着ていたので、背中に食い込むフードの心配はしなくて済んだ。
 しかし、座席に座って注意深く見回すと、17年という歳月は、内装に多用された木材が傷つき、接客設備と時代が合わなくなるには十分な時間だったこともわかる。足元、手元、テーブルの隅。細かい傷の多さは、この車両を継続して使用するにあたって必要な修繕箇所の多さに直結する。走ることに意義があるレベルで競合の少ない路線の通勤特急に転用するのならまだしも、観光需要のブランドを背負うフラッグシップであれば妥協はできなそうだ。また東海道新幹線にN700系が現れて以来、そしてスマートフォンが普及して充電コードに囚われるようになって以来、リクライニングシートのお供として近年すっかり当たり前となったコンセントも、ない。今回私は大容量のモバイルバッテリーを二つも持ってきていたので困らなかったし、この車両に乗ることが目的だったから許せるが、いざ箱根の山々を歩く、というときに電力を消耗した状態で放たれるのは心許ないだろう。
 そんなことを考えているうちに、ドアが閉まり、VSE車はゆっくりと滑り出した。右にカーブして新宿駅を後にし、南新宿、参宮橋と小駅を通過していく。今年の新春旅行で叶わなかったVSE車での移動がかなった瞬間だ。ごついホームドアの代々木八幡を通過し、高架に登って眺望のよさに驚くと代々木上原。急行線の下北沢のトンネルを抜けると、隣に青い弟分のMSE車がぴったり並走している。車掌さんのアナウンスによれば、なんと向こうも特別列車で、千代田線との直通運転45周年記念のツアー列車だとのことだ。VSEとMSEの双方で互いに手を振り合っていると、硬券が配られた。受け取った硬券には、「関東学生鉄道研究会連盟再建10周年記念 VSEで行く小田急線周遊の旅」の文字と、経路が記されている。新春旅行のときの予定では小田原までの片道だったが、このツアーは新宿まで戻ってくる濃厚なコースだ。
 案内放送に従って昼食の鯛めしを受け取り、一旦座席に置いて車内を散策する。せっかく貸し切りのVSEに乗れるのだから、展望席を一目見ない手はない。でも先頭は絶対混雑しているはずで、行きたくない。皆同じことを考えているようで、最後尾に行ったら少しだけ混み合っていた。ここにしばらくとどまることも可能だが、食事をとるには戻らなくてはいけない。写真を撮ってすぐ他の人に譲った。
最後尾からの景色
 VSE車の空気ばねは位置が高いため、車体がロールする中心も高い。車内を歩いているときにカーブにさしかかると、床が左右に動くような感覚にとらわれた。少しふらふらしながら、元の座席へと戻った。
 ところどころで定期列車に道を譲りながら、貸し切り列車は小田原線を西へ向かう。座席に戻り、味わいながら食事をとる。小田原名物と銘打った鯛めしの味はとても上品だった。
 伊勢原を出ると車窓が開けた。2020年に乗ったときは伊勢原で降りたので、ここからは初めての区間だ。開ける車窓を楽しんでいると、VSE車は速度を落とし、秦野駅の副本線に入った。今回のツアーでは小田原や箱根湯本へは入らず、ここで折り返す。折り返し中、車掌さんの粋な計らいで車内放送のチャイムを4種類流していただいた。2020年に乗車したときはエヴァンゲリオンとのコラボで別のチャイムだったので、VSE車本来のチャイムを初めて聴けたが、どれも車両とマッチしていた。
 くねくねと上り線に転線し、秦野駅を発車する。座席の前後をひっくり返して、また車内を散策する。秦野への往路で行けなかった小田原寄り・最後尾の展望車にさしかかったころ、列車は速度を少し落とした。
 「謝罪しろ!」物騒な黄色い看板が、田園風景に姿を現す。小田急線の裏名物、というにしてもあまりに見苦しい、現職市長に謝罪を要求する看板だ。しかもいくつも並んでいて内容が微妙に異なる。いったいこの市長が何をしでかしたというのか、肝心の内容は見やすく書かれていないので、VSE車の小さな窓からは読めない。なんとも不審な看板だが展望席は大盛り上がりで、私も窓枠越しにカメラに収めてしまった。収めてしまったが、他の乗客もがっつり写っているし、そもそも割とセンシティブな代物なので掲載は控えたい。なお、この小田原寄りの展望車は座席が横向きのラウンジ配置になっていた。これも貸し切りならではである。
 列車がふたたび速度を上げるのに同調し、座席に戻る。途中、ちょうど売店コーナーに差し掛かったころ、放送体験を始めるとの案内が入った。またとない好機だが話す内容が思いつかない。一人先に話してもらい、その後でマイクを握った。まじめに自己紹介とVSEの話をして記念撮影をし、座席に戻った。座席に戻ってしばらくすると、ネタ放送が次々と繰り出されて大喜利大会の様相を呈しはじめた。爆笑の渦に包まれる車内。上手な機会の生かし方を、私はまだ知らない。
 通過線で停車して定期列車をやり過ごしながら、列車は小田原線を新宿方面へと進んでいき、新百合ヶ丘駅に到着した。ここで車体が大きく揺れて引き上げ線に入った。再びの方向転換だ。座席をまた小田原方面に向ける。
 乗務員交代を終えたVSE車は多摩線のホームに入る。ここからは多摩線を端まで走る。小田原線とはまた違った緑豊かな丘陵地を、建設の新しいまっすぐな線路で通り抜ける。小田急永山の手前からは京王相模原線と並行して多摩センターを抜け、終点の唐木田駅に到着した。そして車庫に入り、多摩線の端まで入線した。車庫では前の車両が車窓から見えるほどの急カーブを曲がったが、前後の車両でほろの位置が食い違うことはなく、連接車であることを実感した。
 折り返して唐木田駅に入り、多摩センター近辺では京王線と並走しながら新宿方面へと向かう。新百合ヶ丘駅を通過して複々線区間に戻り、急行線を走って、今度は新宿駅の地下ホームに戻ってきた。ここで一行は解散した。
地下ホームに入線したVSE車
 帰る途中、新宿三丁目駅から地下鉄に乗ろうとしたら、ちょうど目の前で発車してしまった。聞き慣れない音がしてびっくりしたら、相鉄の車両だった。その後の電車は東京メトロの17000系で、世界の進歩を実感した。
 列車単位の貸切列車には初めて乗ったが、景色に身を浸す移動とはまた一つ異なる、とても楽しい経験になった。かつて特色ある貸切列車を「ジョイフルトレイン」と呼んだ理由がわかった気がした。
 最後に、素晴らしい企画を用意してくださった関東学生鉄道研究会連盟のみなさまと、小田急トラベルのみなさま、そしてなにより小田急電鉄をはじめとしてVSE車と小田急線をここまで維持してくださったみなさまに、この場を借りてお礼を申し上げたい。


旅人キドリ 2023年雙峰祭号