下北・大湊探訪紀

旅人 こいも


 東北新幹線が八戸駅まで開業した時、盛岡以北の東北本線はすべて第三セクター鉄道になってしまった。その後の全線開業の時も、青森までの東北本線は例に漏れず第三セクター鉄道になってしまったのである。とはいえ、東北本線の部分だけが移管されてしまっただけで、それ以外はそのままJR東日本が運行している。さて、海上自衛隊大湊地方隊の艦艇見学に行ったときのことを記そうと思う。
 先ほど言った通り、青森県内の東北本線は現在青い森鉄道と呼ばれる第三セクターが運行している。八戸駅ではJR八戸線に、野辺地駅では、JR大湊線に乗り換えることができる。そして、青い森鉄道線とJR大湊線は直通運転をしている。快速「しもきた」と呼ばれる快速列車は、八戸あるいは青森から青い森鉄道の区間を快速運転し、野辺地駅でJR大湊線に入り、その終点の大湊まで快速あるいは各駅停車で運行するのである。
 JR 大湊線は陸奥湾の近くを走っており、野辺地~陸奥横浜間で陸奥湾に最接近するため、はまなすベイラインという愛称がつけられている。これは余談だが、JR八戸線の八戸~鮫間も鮫駅周辺にうみねこの繁殖地として有名な蕪島があることから「うみねこレール八戸市内線」という愛称がついている。話を戻すと、JR 大湊線はもともと貨物電車が定期的に走っていたのだが、今はもうすでに定期運行はなくなり旅客輸送だけになっているそうだ。
大湊線の車両キハ100系
 9 月某日、筆者は上北町駅9:59 発快速しもきた大湊行に乗車した。上北町を出ると乙供・野辺地・陸奥横浜・下北に停まり終点の大湊まで快速運転する列車だ。青い森鉄道線はすべての区間で電化複線なので基本的には電車がやってくるのだが、当該の車両は非電化の単線区間であるJR大湊線を走るため気動車がやってきた。キハ100系200番台の一両編成、あの何とも言えない緑色をしている気動車だ。下北に向かう途中、横浜町に入る直前、進行方向左手に陸奥湾が開けてきた。比較的穏やかな内湾はとてもきれいで、晴れている日であれば夏泊半島や対岸の津軽半島、恐山や釜臥山を一望できる。
 野辺地を発って 1 時間ほど経過したころ、快速しもきたは下北駅に到着した。下北駅は本州最北の駅で、かつては下北から下北半島の北、そして津軽海峡沿岸の大畑までの電車が走っていたという。また、大畑から大間まで鉄道を伸ばすという計画があったために作られたが、幻となった鉄道の廃線跡も見学できるという。今では公共交通機関で本州最北端に向かう方法は、下北交通が運行している下北駅から大間を経由して佐井村まで行くバスに乗る以外にない。大畑も大間も、途中の温泉街の下風呂温泉も訪れてみたいのだが、今回の旅では大湊の海上自衛隊の艦艇見学がメインなため、そこまで奥に行くことはできなかった。
 下北駅からはバスに乗り継いでむつ郵便局バス停で下車した。そこにはマエダストア(青森県内を中心に展開するスーパーマーケット)の本店があり、その中にあるレストランを訪れた。もちろん今回の旅の目的は海上自衛隊の艦艇見学であるから、そこで食べたものは海自カレーである。海自カレーというものは全国各地の海上自衛隊が長い航海の際に曜日感覚を忘れないよう、毎週金曜日の昼食に食べるもので、ベースは同じだがそれぞれの地域ごとの特徴がある。大湊の場合は陸奥湾のほたてが入っており、同時に航空自衛隊が近くにあるために空上げ(唐揚げ)を取り扱っている飲食店が多くある。
大湊海自カレー
 食事を済ませると田名部にある「むつ来さまい館(むつかさまいかん)」を訪れた。そこはコミュニティセンターのようなところなのだが、1階は物産販売フロアに、2階はビジターセンターになっており、下北半島ジオパークの紹介があるのだ。私は 2 階のビジターセンターを訪れた。そこでは、下北の地層が4つに分かれており、そのうち一つは筑波山地域と酷似していることも知った。
 さて、いよいよ本来の海上自衛隊大湊基地に向かうことにしよう。田名部から大湊まではジェイアールバス東北で向かった。車体は国鉄スワローズの色をした車体であった。大湊駅をすぎて少しすれば湾岸が見えてくる。そこが海上自衛隊大湊基地だ。そこには120しらぬい・233ちくま・112まきなみが停泊していた。この時どの艦艇が停泊、出港しているかどうかは当日までわからないので、実はもう二度と同時に見ることができないかもしれないらしい。今回の艦艇見学では「まきなみ」の中を見ることができた。あまり詳しくは言えないのだがとても貴重な体験ができた。大湊基地の近くに展示をしている建物もあってそこには戦前からの貴重な資料がたくさん展示されていた。内容としてはかなりマニアックなものだったので、ぜひ青森に来た際には足を運んでほしいと思う。
国鉄スワローズ色のバス
120 しらぬい(左)と233ちくま(右)
120 しらぬい(左)と233ちくま(右)
 帰りは大湊駅から例の気動車に乗って帰ることにした。ここから野辺地まで各駅に停まりながら行くのだが、この時からこの紀行文を書き始めていたのもあって意外と時はすぐにすぎた。夜暗く車窓も見えなかったので、案外集中できていたのだろう。ちなみにこの後、日の本中央祭りという怪しげな名前の祭りに行ったのは別の話である。
本州最北端の路線:大湊線
日の本中央たいまつ祭り:たいまつ
〇余談:日本の中心地はどこ?
 日本の中心地というとどこだろうか。
 無難に政治や経済の中心地と言えば東京と言えるだろう。物理的な意味であれば長野県辰野町だといえるだろう。
 伝承からの言い伝えで青森県上北郡東北町も挙げられるらしい。というのも日の本中央の碑が発見されたといわれているからだ。一説によれば当時蝦夷地と呼ばれ蝦夷を討伐するために派遣された征夷大将軍坂上田村麻呂が実際にその場で「将軍がいるところこそ日本の中心で、ここも日本の中心なのだ」といった内容を話したというのがあるらしい。しかしながら著者自身はまったく信じていないので本当だとは思っていないのだが…。


旅人キドリ 2025年雙峰祭号