2023年秋旅行:非公式旅行記

旅人  動輪径27インチ


年間5回の公式旅行のうちの1つ、秋旅行を実施したのは9月下旬のことである。たびてつの旅行は参加者の自由度の高さなど一風変わった特徴を持っており、この時の旅行は準備の都合なども相まって特にその性格が強いものとなった。 恒例の旅行記は中扉締切氏の手によりすでに当HPの旅人キドリ2023年雙峰祭号に掲載されているが、この「非」公式旅行記を通してたびてつの旅行の一面を知っていただけると幸いである。なお、これはあくまで一例であることにはご留意いただきたい。

秋旅行の訪問先は長野県であった。1日目は北陸新幹線で長野に入り長野電鉄の終点・湯田中で宿泊、2日目は姨捨駅に立ち寄りつつ南進して諏訪を訪れてから帰還するという行程である。JRの切符が一枚にまとまる経路もさることながら、乗り換え時間を含めた移動時間も2日間で12時間弱と長めである。
つくば発着者の旅行経路
6:34、私は単身、上野駅からはくたか551号の自由席に乗り込んだ。しおり記載の行程より4時間早い。つくばを常識的な時間に出発し、かつある程度の余裕を見込むと、長野到着は昼頃となってしまう。早朝の出発は苦ではなく、やりたいこともあったので、先行してしまうことにしたのだ。

高崎、軽井沢、上田とそれぞれそれなりに人の動きがあり、上田では私も降車した。小雨がぱらつく駅前に一瞬だけ頭を出し、高架の上田電鉄の駅の改札を眺めた後、在来線、もといしなの鉄道のホームに降りる。引退が迫る115系の乗車・撮影が午前中の予定である。115系S2編成(「晴星」塗装)の上り列車を見送った後にやってきたのは同じく115系のS9編成(台鉄色)。淡緑色の壁面と2段式の窓、扉間片側2つのボックスシートが並ぶ車内は通勤通学客でにぎわっていた。

車両基地が併設される戸倉駅で列車を降りる。古レールを使ったホームの横には留置線があり、さらにはラッシュ輸送を終えた車両もやってくる。車両を撮り、ホームを撮り、改札を出て車両基地側にも回り、最後は駅そばを食べると、3時間もたっていた。再び115系に乗りこみ、長野へ向かう。念願かなって115系の6種類の塗装をすべて見ることができ大変満足したが、時間を目いっぱい使ってしまったことにはびっくりする。
〈左〉しなの鉄道115系S9編成(上田駅)
〈右〉戸倉駅前の看板 温泉街の玄関口なのだ
 
〈左〉初代長野色・S7編成 車体裾の赤がよい
〈右〉しなの鉄道色 雨どい端部の造形が目立つ
 
〈左〉寄り道先の長野ターミナル会館に並ぶバス
会館1階にはホームらしきものもあるが、使われているバス停は路上のようだった
〈右〉参道沿いに斜めに建つマンション
店舗が入る1階だけは通りに沿って 張り出していて、屋根には瓦が載っている
長野駅の改札を出たところで新幹線で到着した他の参加者3名と邂逅するも、すぐに別れる。昼食に消えていった1人と「地下鉄」に向かった2人をよそに、私は少し寄り道をしつつ、参道を歩いて善光寺に向かった。次第に勾配が付き始めた道を登っていき、山門の手前から振り返ると、まっすぐな道路が街なかに続く光景が広がっていた。旅行の楽しみはまず第一に街を眺めることにある、私はそう信じてやまない。

来た道を戻り、アーケードのある権堂商店街へ曲がって東進、地下を長野電鉄線が走る大通りに出る。権堂駅でフリー切符を買い、市役所前駅まで歩き、ちょうどやってきた電車で長野駅へ。出入口は各駅4か所と多く、地下化時のままかもしれない内装は趣きがあったが、30分以上開くこともある運転間隔は少し残念である。
長野電鉄市役所前駅
長野駅の滞在も地下駅の観察のみと短時間で留め、再度長野電鉄に乗る。折角の機会だから長野よりも奥に時間を使おう、と思っていたが、素通りも憚られたとはいえ長野市街で案外過ごしてしまった。地下区間を抜けると架線にも頼りなさを感じるようになり、立派な鉄道・道路併用橋で千曲川を渡ると須坂駅に着いた。ここも車両基地がおかれる駅である。2面ある島式ホームの一方には端に転轍機標識などが並んでおり、留置線には引退した3500系(元営団3000系)の姿も見える。細かいコルゲートや丸みを帯びた前頭部が私は好きだ。

駅を出て街を歩く。山は近く、街自体にも起伏がある。屋代線の廃線跡を探索することも考えていたが、結局市街地をとり、養蚕業の資料館である須坂市ふれあい館まゆぐらを訪ねるなどした。
〈左〉長野電鉄3500系
〈右〉ゆけむり号車内 電灯が洒落ている
時計を見ながら散策を終え、再び駅へ。列車はさほど待つこともなくやってきた。特急ゆけむり号、元小田急ロマンスカーのHiSEである。車内にて参加者2名と合流、最後尾の展望席で遠ざかってゆく景色を眺めながら宿泊地の湯田中へ向かった。

普通列車での長距離移動が待ち構える2日目は、7時頃から動き出した。朝食は事前に調達した、一応はご当地パンである「牛乳パン」ほか。予定より1本早い列車で湯田中を出ることができたおかげで、信州中野からは特急スノーモンキー(元JR253系成田エクスプレス)に乗ることができた。座席上に斜めに配されたハットラック式の荷物棚や光沢のあるプラスチックの背面を持つ座席など、内装は独特である。

忘れ物の回収に向かう1名と共に権堂駅で降車する。私は善光寺下駅まで歩いて戻り、そこから市役所前駅まで電車に乗り、最後の一区間は地上を歩いた。善光寺下駅を見てみたかったのと、地上から長野駅にアプローチしたかったのである。

長野駅からは篠ノ井線に乗車、E127系にあたった。混雑してはいたが、初乗車の車両は嬉しいものだ。スイッチバックの桑ノ原信号場でしなの号と交換し、同じくスイッチバックの姨捨駅ホームに後進で入線する。そこそこのスピードを出しての後進や、しなの号がこちらには目もくれず通過していく様は面白い。ホームに降り立つと、そこからは善光寺平を一望することができた。
 
姨捨駅
リゾートビューふるさとと長野行普通列車、しなの号2本を見送った後、我々も再び列車に乗り込んだ。今度は211系で山を越える。松本駅で私は再び分離し、構内で引退の近いアルピコ交通3000系などを撮影し、キヨスクで土産のみすゞ飴とおやつのおやきを購入してから一行の後を追って下諏訪に入った。

下諏訪では、食事後道端で出くわした会員と行動を共にした。宿場街道資料館で宿場町としての歴史を知り、中山道と甲州街道の合流地点を訪れ、土産に塩羊羹を買い、単線区間の中央本線をまたいで諏訪湖のほとりを歩いた。下諏訪もまた坂の街であった。
下諏訪駅ホーム 古レールが美しい
駅で再度集合したのは3時半。中部方面に旅を続ける1名と別れて特急あずさ号に乗り込む。中央線特急への乗車は2022年度の新春旅行で武田菱の座席モケットを残すE257系5000番台に乗ったのを別とすれば、引退直前のE351系スーパーあずさが最後である。E353系もはや6年目、座席の枕カバーにプリントされた形式ロゴはかすれていた。

甲府。ここで私は離脱した。何度目の単独行動だろうか。帰る先はつくばではないので、日のある時間をもう少し有効活用したいと考えてのことである。とはいえ、日没は近い。駅前にある甲府城跡を登り、県庁の建物を眺め、いきなり降り出してきた雨から逃れるようにして再び列車に乗った。今度は普通列車、211系だ。外は暗いが、勝沼ぶどう郷付近からは輝く甲府盆地を見下ろすことができ、甲斐大和と四方津では数分間の停車時間があった。特急が追い抜いていったのは四方津のみ、それも通過後すぐに発車したわけではなかったのだが、臨時特急列車のスジが組まれているのだろうか。

そうこうしているうちに列車は高尾に着き、私は日常へと帰還した。
甲斐大和駅にて 雨はやんでいたので撮影タイム


旅人キドリ 2024年新歓号