正指揮者×副指揮者 サマコン直前スペシャル対談!vol.1

こんにちは!8月に入りサマーコンサートが近づいてきました!
スペシャル企画として、正指揮者×副指揮者 サマコン直前スペシャル対談をお届けします!
知られざる事実がどんどん明かされていくのでお楽しみに!

S・Hくん(以下S)

#正指揮者#比文#甘いもの好き

#右側#でも実は左利き

M・Yくん(以下M)

#副指揮者#教育#登山家

#左側#メガネとコンタクト使い分けてる

録音されるということで緊張気味の2人…まずはこの質問からいってみます!

超凝り性!

―お互いの印象は?

S:Mはえーとね、最初思ったのは、超凝り性な奴

M:笑笑

S:だってさ、ミューズスコア、なんかテンポとかめちゃめちゃ指定するじゃん。俺あそこまでできない。もうハマったもん徹底的にやるなっていう印象はある。あと、練習とか見てて、なんだろう、音への感性はすごいあるなっていう風には思った。音聞いた時に、自分のなかでちゃんとイメージがある場合「あ、今のこういう感じ」「ちょっと違う」みたいなのが、音聞いて敏感に感じてる方なんだなって練習受けてる側からすると思ってる

※ミューズスコア…楽譜作成ソフト

M:うん(照れ)

S:そういう感性はすげぇなって思ってる。という感じ

M:ありがとうございます笑凝り性確かにな、好きなものには結構

S:めちゃめちゃ凝るよ

M:こう、ね、ずっとやってるっていうか

S:そうだよ。だいたい夜11時から(ミューズスコアを)始めるやついないもん笑笑

M:いやなんか、ミューズスコアは気づいたら時間が過ぎてるぐらいやってますね

S:笑笑なかなかの特技だと思う

〜ミューズスコアへの思いを語るMくん〜

M:2/3くらいは一息でやって残り1/3は終わらせなくちゃいけないみたいな、義務感でこう、きつくても

S:途中まではノリノリなんだけどね笑

M:そう、途中まではノリノリなんだけど笑ピアノついてるとなお

S:それはすげぇわかる。途中つらくても出来上がった時、なんか、こう気持ちいいよね。音源聞くと

M:そうそうそう

とにかく楽しそう!

M:Sさんへの印象で言うと、まず指揮者としては、やっぱりですね、人を褒めるのがうまいですよね、めちゃめちゃ。自分結構人を褒めるの得意じゃない

S:そうなの!?笑

M:わかんないですけど。Sさんがすごすぎるからかわかんないですけど。練習の雰囲気作りが上手いというか、聞いて「ここよかったね」っていうのをすぐ見つけるし。全員(のことを)見てくれてますよねしっかり、テナーだけとかじゃなくて全部のパートで「ここよかったね」とか見つけてくれるから、やっぱり歌いやすいし、楽しそうに指揮をふってくださるので

S:おーやったぜ

M:こっちもなんか、歌いたくなる笑

S:おー!それはねめちゃめちゃ意識してるかな。なんかその、とりあえずさ、楽しくっていうのしかできないの俺の場合は。だから、そこがまず第一でやって、そのために何をするかだから、それをね、ちゃんと言ってもらえるのは嬉しい。なんか照れくさい感じ笑笑

M:たしかに笑笑

M:あと、テナーとしてでいうと、やっぱり高音まで(出るので)テナーの中でも軸となっているというか。特に最近の練習で思ったのは、(ある曲の中で)ずっと高音が続くんですけど、完全にテナーのキーパーソンだなと

S:えぇ

M:Sさんがお休みしてるときに、ちょっとエネルギー感が物足りなくなったって言うか

S:キーパーソンなのはMも。ゆうて俺は音域限られてるけど、この人はいいところで得意な音域がくるから笑さっきも言った感性みたいなものもあるから、来てほしいところで(きてくれる)(正指揮曲にテナーのパートソロがあるので、)あそこはよろしく頼みます!

M:頑張ります

場が温まったところで、正指揮曲『鎮魂の賦』(詩:林望 曲:上田真樹)について聞いていきます!

温めてきた曲集

―この曲集を選んだきっかけは?

S:きっかけはS・T(47.bass)だけどね笑「これいいんだぜ」つって1年のころだねもう。1年の頃に聞かされて、ソロめっちゃかっこいいやんと思って。で、これは正指揮でやろうよって話してて。で、俺は(去年)正指揮候補で違う曲出したんだけど笑笑

M:笑笑

S:S・Tが出すと影響力強いから笑

M:それはいなめない笑

―1年生の時も副指揮曲として候補に出してたよね?

S:1年生の時も出したけど来年やりたいから(って話をしたね)

〜みんな大好きな終曲のソロ〜

S:一番最初に聞いた時はわあソロだぁ。気持ちいいだろうなって。いのちの「い」で(音が)一番高いところ。燃えるわぁと思って

M:男声集まったらあそこだいたい歌ってますもんね

S:そうだよ、ひたすら。ベースでも歌ってる

M:笑笑

―M君的に1年生の時から温めてたことどう思う?

M:他の曲にね浮気せずにこうね

S:笑笑

M:思ってた歌が3年生で花咲かせるのはいいですね

S:結果的にこう紆余曲折して『鎮魂の賦』にね。浮気しなかったのはS・Tの方笑

過ぎていく時間・周りのきらびやかさと自分とのギャップ

―自分がこの曲集やるにあたって考えてることややりたいことは?

S:正直最初はかっこいいっていうのが選んだ大きな理由ではあったけど、練習するにあたってちゃんと自分も思い持たなきゃやってられんからさ。

―そうだね笑

S:そうそう笑考えたんよね、やっぱり。一番最初に目についたのは「時の逝く」だった。

“時の逝く そのはやさ そのしのびやかさに”(出典:林望作詩 上田真樹作曲『鎮魂の賦』より「1.時の逝く」)

がめちゃめちゃ印象的で、自分にもまさにそれと重なる感覚があって。コロナもあったし、まあコロナがなくても、こう「やべぇどうしようもなんねぇ」みたいな「わ、どうしたらいいんだ」みたいな時に、なんだろうな、時間だけがいっちゃうみたいな、自分は進めていないよねっていうそういうギャップ感とか。時間だけじゃなくて、時間と共に進んでいっちゃう人とか、なんか「あいつら楽しそうやな」みたいなさ、のも含めだと思う俺はね。時とその周りにいる人とかものとのギャップ感っていうのが、すごく印象的で。だからもう「時の逝く」っていうのは、周りのきらびやかさとかと自分とのギャップというか、虚しさとかどうしようもないなっていう気持ちの差っていうのは、めちゃめちゃ意識して曲作りしたいなって思ってるかな。

でも、その「どうにもならない」辛さみたいのが、自分の周りに悠然と広がる「せかい」の中に置かれることで「溶けて」いって、ふっと思い出とかに思いをはせると、空の向こうで誰かと繋がっている気さえしてくる。そうして誰かの存在を感じるというのがこの曲の本質だと思う。コロナで同意ようもない悲しさも、風を感じられない閉塞感も、誰かと繋がる大切さも身に染みてわかったからこそ、今うたいたい曲なんだよね。曲集に対してはそうだな…しゃべりすぎちゃうかもしれない笑

―Mよ、質問してもいいんだよ

M:まだ聞いてます

S:じゃあとりあえずしゃべろー

どんどん乗ってきて、語りが止まらない正指揮者S…溢れる思いに思わず副指揮者Mから出た言葉

いやぁ、熱いな、これは。

S:そのどうしようもないとか辛いとか悲しいとかそういうことを5番「春の日」で“あさきゆめ”って言ってて。“あさきゆめ”って表現してるのがすごい意外だったの最初見た時。

だってなんかこう、普通共感求めるんだったらもっと、「どうしようもないんだよね」「すごい辛いよね」みたいな方がグッとくるような感じがするけど、それって”あさきゆめ”だよねっていうのが、自分的にはあれ?意外だなって思った。だけど、この”あさきゆめ”って言ってる人って、その悩んでる・どうしようもないと思ってる本人にとっては、すごい重大なことだなっていうこともわかってるはずなんだよね。自分も絶対経験してる。

それでもあえてこう”あさきゆめ”なんだよねっていうのは、すごい。少し「死」とは離れるけど、例えば自分たちの時期になると、就活しても将来どうしたらいいのかわからない、卒業論文だってやりたいことがわからない、やりたいことだってあるはずなのに、すべて中途半端でなにも為せてる気がしない。みたいな、完全に先が見えてこなくて、着実に進む日々の中で「どうしようもなくなる」ってことがみんなにある……と勝手に仮定して、でもそういう時って、「どうしようもない」ままで進もうとするしかないのなかなと。それで悩んでいる姿って、もしかしたら端からみれば、もしくは未来の自分からみればすごくちっぽけな「あさきゆめ」なのかもしれない。(もちろん、死ということで考えれば、この「あさきゆめ」ももっと壮大な規模感をもってくるのだろうけど)。どうしようもないって思ってる本人だって、こうして頭抱えて心閉ざしていることのほかに、別の生き方があるということには、意識的にせよ無意識にせよ気づいていると思うんだけど、それはわかってるけど、それに向き合って実際にやろうってめちゃめちゃ勇気と気力がいることだと思う。そういう意味では、「春の日」も共通するところがあるのかなと思っていて。この曲の「主人公」は、その辛さはあさきゆめだよって(意識しているにせよ、できていないにせよ)どっかでわかってるような気はしてる、俺は。

「時の逝く」の時点から、どっかでわかってんじゃないかなっていうふうに思ってて。根底にあるものはずっと(曲集の)1から5番まで変わんないって思ってるんだけど、ようやく「春の日」で、勇気をもってその囚われていた一つの考え方とか価値観そのものから外れてみようじゃないけど、逃れてみようとか、もっと別のところに進んでみようというか、そういう勇気というかそれを信じられる気持ちというかを持てたんじゃないかなっていうふうに思っていて、曲集全体としてはこう、何か新しいことを発見するみたいな物語は結構あると思うんだけど、それよりかは初めからどこかでわかっていたことを受け入れて信じてもっとやってみようって、そういうことをしていくまでの過程を描いてるんじゃないかなっていうふうに思っていたりして。

そういう映画とかドラマとか見るとさ、終わった時に「自分もちょっと頑張ってみようかな」ちょっと晴れやかになる気がするんだよね。だから、演奏聴き終わった人たちがそういうなんだろうな、ちょっと前に進める気がするなみたいな。そういうことを思ってもらえるような曲集にできたらいいのかなっていうのが理想としてはあって。言葉の伝え方もそうだし曲作りもそうだし、あと音楽だけじゃ伝わらないところでも、(例えば広報とかパンフレットとか)曲の中で歌詞や雰囲気を伝えたいけど、やっぱり伝えきれない部分もあるんだよ。だからもっと別のところから、最大限のアプローチをして、そういう気持ちになってくれたらいいなっていうふうに今考えてる

M:いやぁ、熱いな、これは。本番は泣かないように頑張りまーす

S:笑笑

―絶対泣くでしょ笑

M:副指揮と正指揮は頑張って歌いたいけどなぁ

 (ステージは)まだあるんで、休憩もあるんで大丈夫だと思う

S:笑笑

―わかりやすく背中を押すような言葉は出てこないからこそ、自分たちで表現したい?

S:それもあるけど、結構メッセージもあるかなって思う。ソロの部分とかは「踏み出せ!」って言ってるわけじゃないけど、めちゃめちゃ強く強く問いかけているわけだから。結局(自分が)何を言いたいのかわからなくなってるけど、言葉の説得力っていうのは欲しいよね

副指揮から正指揮へのバトン

―副指揮が正指揮曲に思うことはある?

S:俺、『明日へ続く道』好きよ。

―副指揮曲についてはあとで聞くからちょっと待って笑

S:あーそっか、ごめんごめん笑

M:5番が直接的ではないけど、応援ソング的な一面もあるっていう話があったと思うんですけど、副指揮曲の方も応援ソング的ではありますよね。

“もう一度もう一度やってみよう”“明日へ続く道が始まる”(出典:星野富弘作詩 千原英喜作曲『明日へ続く道』より「2.もう一度」)

とかそういう、こっちはどちらかというともっと直接的であったり、エネルギッシュであったり

S:そうね

M:特に(副指揮曲の)終曲だと楽しげな感じで。すごいエネルギッシュに思う。テーマは違えど応援的でもある『鎮魂の賦』が次のステージにあるっていうのは、ある意味副指揮と正指揮の関係では無いですけど(良いですよね)。なんか(正指揮の)1曲目の最初のピアノから持ってかれませんか雰囲気

S:わかるわかるわかる

M:同じ応援的ではあるけど、違った雰囲気というかアプローチというか。その点で親和性があるというか、好きかなって思います

S:うんうん、なるほど。確かに。

正指揮ほど読み込んでるわけじゃないんだけど、「もう一度」とか見てると、東日本大震災(のことだと思うんだけど)見た景色に対して、「それでいいのかな」「こんな状態だけど、でももう一度もう一度」っていうことだと思うんだけど、そういう意味では自分で踏み出している主体的な感じがあって。『鎮魂の賦』ってもう一度って踏み出すまでのこの過程みたいな、行き着くまでの心の絡まりとか、そういうことがあったりするなって思って。さっきの話聞いて「あぁ、良いな」と「このステージ構成は良いな」と。で、ドイツ語にいって恋になるのもなかなか面白いなと思う笑

M:笑笑1ステージ2ステージの接続はめっちゃいいですよね。引き立つというか。満足度高い

S:今言われて、うまく雰囲気も受け継げたらいいなって。これはもう副指揮曲ももっと聞いとくしかない

M:今年は結構繋がりがある気がします

―副指揮、正指揮って切って考えてしまうけど、つながりがあるんだね、発見!

※定期演奏会では、第1ステージ:副指揮曲、第2ステージ:正指揮曲、第3ステージ:ドイツ語曲、第4ステージ:髙田三郎先生作品の曲順となります

次回は副指揮曲『明日へ続く道』(詩:星野富弘 曲:千原英喜)についてM君が語ってくれます!